米とコーヒー、結局ONENESS


コーヒー生産者と祖父母

私の祖父母は米農家でした。

コーヒー豆の多くが開発途上国での生産に依存している現状で、農家さんのストーリーを知るたびに、私はどうしても祖父母の米作りと重なってみえてしまいます。

私が小さいときは、よく祖父母にくっついて田んぼに行き、彼らの作業を見るのが好きでした。

まだ舗装がされていない田んぼ周りの水路にはおたまじゃくしがたくさんいて、アナログだったけどすべてのことに「手触り」を感じることができた時代。

「心が豊かである」ということがどういうことかを、祖父母と過ごした日々の中で実感できたから「今」があるのだと思っています。

朧げながらにある記憶が、私にとって急速に変わる「今」に流されないためのひとつの指針になっています。

祖父は、米作りを続けて65年以上経った当時、米の収穫量や出来の良さについて「毎年わがらね(わからない)」と言っていました。

毎年天候に左右されるし、人がコントロールできることなどほとんどなくて実際収穫してみないと何もわからないのだ、と私におしえてくれました。

祖父も祖母も、自然に対する憧れや諦めや畏敬や感謝のようなものをあらゆる場面で、あらゆる言葉で私に伝えてくれました。

2006年の映画「おいしいコーヒーの真実」、

この映画で私が印象に残っているのは、収穫量の不足と業者による搾取によって生活が成り立たなくなるエチオピアのコーヒ農家の方が、できることは神に頼ることだけだと嘆く場面。

もちろん事情も深刻さもレベルが違い、比較はできませんが、何か大きな流れに逆らえず自分たちの非力さを語る彼らの言葉は重く、私の中で祖父母の姿と重なる部分がありました。


私も含め多くの人にとって「自然相手に人間にできることなんてそんなにないんだ」と実感できる機会がもっとあれば、地球環境もこんなに悪化していなかったかもしれない。

今いる世界は全然違っていたかもしれない、とも思います。

コーヒーは苗を植えて収穫できるまで、最低3年はかかります。

自然の中で育つ植物とそれを育てる人たちのスローな時間の感覚は、大きなマーケットを軸にした一部の社会のそれとは全く異なる。

私たちは、注文すれば数日で綺麗にパッケージされた商品が当たり前のように届くことを当たり前に思って生活をしているけど、便利なシステムや商品をそこそこの値段で享受できていることに、もっと違和感を持つべきだったかもしれないと感じています。

商品の価格が本当にその「価値」を表しているわけではないことを、私たちはもっと知るべきです。


昨今ではフェアトレードやダイレクトトレードも増えてきましたが、コーヒーは収穫量が不安定なことに加えて、取引価格の決定について生産者はまだまだ弱い立場にあるのが実情。


考えるきっかけを増やす。

それは、今後も美味しいコーヒーをお届けするために必要なことだと思っていますし、今後も美味しいコーヒーを届けるために必要なことだと考えています。



自分の立ち位置で考える、で十分

世界中でポスト資本主義について考えている人が増えている中で、今後社会がどのように変化していくのか、近いうちそれを肌で実感するのかもしれません。


モノを大量に生産して消費することで一部の人が豊かになる、しかも誰かの権利や健康や生活や自然環境を犠牲にして。

というやり方が、前時代的であることはもう明らか。


おそらく、特にSDGsの認知度や機運の高まりとともに「環境や社会にいいことをしたい。」と思っている方は増えているのだと思います。

大きな流れを見守りながら、いわゆる「普通」の私たちの日常の生活を、私たち自身がどう変えるべきなのかを考え、行動したい。

そして、実際には個人でできることには限界があり、お金がかかるのも事実。

だからといって「見ない・聞かないようにする」とか「自分で考えない」とかって、それ以上の、ものすごいリスクなんだと思います。

消費者というのは、自分たちが思った以上に力を持った存在です。

大きな企業が成り立つのも、この小さな個がたくさんそれに賛同してこそ。

人類すべての課題は、一人ひとりが今いる「自分の立ち位置」で考える。

結局すべてつながっているのだから、例えば、自分の消費行動を少し変えるだとか、今疑問を持っている地域課題に対する何かしらの行動(できる範囲でね)、で十分なのだと思います。

自分たちの「今」を犠牲にするのではなく、できる範囲で正しい判断をして、何よりその人自身が幸せを実感する。

そういう仲間と付き合う。


NIJIYAは、そういう選択をする人を応援したいです。

SDGsという世界共通の目標が非常にわかりやすく、一部の国や環境保護団体、NGOなどだけでなく、一般の人に社会問題に関する関心が高まっていることはとても素晴らしいことだと思います。

ただ、大切なことは、簡単に手に入る情報を鵜呑みにして気分や感情で動くのではなく、一人ひとりが自分で調べたり考えたりして、本当にそれが正しいのか、本当に誰も取り残していないのか、などクリティカルで冷静な視点を持つことだと思っています。



今後、やりたいと考えていること


いろいろ考えた結果、今NIJIYAとしては「全てはつながっているのだと実感できるもの」を販売したい、と考えています。

 

コーヒー豆は、今後取り扱う内容が変わります。

各生産国に応じた品質と風味特性の高さを希求し、生産者や農園、エリア毎に異なるコーヒーの個性をより楽しんでいただけるように厳選し、ご紹介していきます。


お客さまに選んでいただくコーヒーに関するデータをできる限り詳細にオープンにし、生産者のこだわりやストーリーをお伝えすること。

それは、お客さま自身のストーリにつながると信じています。

「カラフルなコーヒー」とは、コーヒーが本来持つ個性を表します。

美味しいコーヒーの香りを感じた時や口に含んだ時の「!◯?$※#@□*!◯∵?※#□*」という感覚。


複雑で繊細で味覚が忙しいけど、そこがいい!といつも思うし、だからこそ長い間世界中でここまで愛されてきたのだと思います。

一杯のコーヒーとの出会いが誰かの視野を広げるきっかけになり、さらに周りの人へ幸せが波及したら最高。


テイスティングイベントなどを開催しながら、カップ一杯の値段に込められた意味を理解していただけるように努力します。

また、今後新たにやりたいと考えているのが「シネマ会」です。


社会課題を考えるのにとてもためになりそうな、個人的にとても観たい映画があったのですが、個人が利用できるストリーミングサービスなどでは扱っておらず、映画上映会を開催することでライセンスを得ることができると知ったのがきっかけ。


上映会を企画し参加してくださる方を募集する必要があるので、もし賛同してくださる方がいて実現できそうなら、継続的にやりたいと考えています。

(村上は映画館ないしね!)


また単純に、短時間で同じ感動を共有し仲間を作るのに「一緒に映画を観る」という手段はめちゃくちゃありだと思いました。

社会課題やSDGsに関連することをテーマとした一般ではあまり手に入りにくい作品を、なるべく多くの方と観て共感できたらいいなと考えています。


もちろん施設借りる条件とかいろいろ大変そうで、すぐに大きな規模では無理ですが、できることからやってみます。

ご興味ある方は、ぜひ今後の発信に注目してみてくださいね。

協力していただける方がいたら、もちろん大歓迎です。


「つなぐこと」を、そろそろ本気で


世界中、ほとんど大きな問題の原因は複雑で根深く、大きな「流れ」に小さな「個」が抵抗するのは難しいことは当然理解しています。

簡単にできないから、世界中いろんな人が時間をかけて悩んで失敗を繰り返して…というのを、世代を超えて繋いでいくことでしか前には進めないのだと思います。


どの時代もどの場所でも、そうやって人は「今」を生きてきた。

今、自分は大きな流れの中のただの「点」でしかないけど、これが次の誰かに繋がるのだと考えると、世界が広がる気がしませんか?

同時に、今すでに日々がんばって生きている一人ひとりが、自分自身の幸せを実感することは最重要課題なのだと強く思います。


今自分が大切にしている家族やパートナーや仲間との繋がりが、その土台になっているはず。

恵まれている環境にあるのなら、罪悪感ではなく、最大限の感謝とともに今自分にできることを。


全てはONENESSだと思っています。


#close the loop

#oneness